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一隅を照らす、これすなわち国宝なり

更新日時:2026.01.03
カテゴリー:Blog

自分の持ち場を理解し、全力を尽くす

数年前、いくつかの逆境に同時に見舞われるタイミングがあって少々参っていた時、仏教の言葉に出会って気持ちが救われたことがあります。

個人的な解釈ですが、仏教は人生哲学に近いものであり、人間の生というものを極めて実践具体的に洞察・構築した「生きる知恵」であると思います。

生老病死(しょう・ろう・びょう・し)という根源的な苦悩を「四苦(しく)」と定義し、「人生は苦しいものである」というところから出発しています。

にもかかわらず、決して悲壮感あふれる世界観ではなく、「苦しさが前提の人生なるものを、人の知恵と努力で、明るく救いのあるものにしていこうじゃないか」という気概やユーモアのようなものが随所に感じられる。そんなところが、仏教の魅力だと思っています。

仏教には、釈迦をはじめ先人たちが遺した言葉が数多くありますが、その中に、

一隅を照らす、これすなわち国宝なり

というものがあります。教科書にも出てくる、最澄の言葉だそうです。

一隅(いちぐう)というのは文字どおり、一つの隅(すみ)。つまり、社会の片隅、あるいはちっぽけな自分のいる場所、というような意味合いです。

そのような、目立たない社会の小さな場所で、精一杯努力を尽くす。これを継続し、自分自身と、その周囲を少しでも幸せにしていく。

それが「一隅を照らす」ということだと解釈しています。

そしてそのような人物こそが、国宝、国の宝であると最澄は言っています。

自分自身はちっぽけで、ごくごく狭い範囲で生きて仕事をしている。しかし、その中で出来る最大限の努力を続けていれば、やがて周囲の人々にも幸福をもたらすことができる。そうやって一人ひとりが「自分の持ち場」で頑張っていくことで社会全体が良き方向へ前進していく。

こんなことを感じさせてくれる言葉だと思います。

長い人生、さらにこの混迷の時代ですから、「自分は何をやってるんだろう」と空虚に惑うことは誰でもあるはずです。

そんな時に、この「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」を頭の中で反芻してみると、何かまた、明日から目の前のことを全力でやっていこうという気になれるかもしれません。

本日は以上になります。

株式会社FooLaiBo
三浦 隼

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