ヒマな時間と思考力
テクノロジーは人間を「バカ」にする?
先日Webニュースをみていたら、
という刺激的な見出しが目につきました。
いわく、スマホやSNS、生成AIなどのテクノロジーの進化により、人々の思考力が低下しているとのこと。
学生は課題レポートをAIに丸投げし、ビジネスパーソンも作業をChatGPT任せにしている……というような主張です。
まぁ、わかるような気もしますね。
これだけテクノロジーが発展してしまうと、さほど思考しなくても生活も仕事も「なんとなく」こなせてしまう。
かつては「ヒマ」だったはずの時間も、YouTubeやTikTokのショート動画を見たり、スマホゲームやSNSを触っていればあっという間に過ぎてしまい、ヒマを感じる暇(いとま)もなくなる。
「人類をより豊かに」と技術の進歩に打ち込んできた先人たちの想いと逆の方向に我々が進んでいるとしたら、少し皮肉な感じがしてしまいます。
そう考えると、若い頃スマホもSNSも無かった私たち「非デジタルネイティブ」世代というのは、”ヒマ”という贅沢を謳歌できた最後の人類……なのかもしれませんね。
「暇つぶし」というように、人はヒマが生じるとどうにかその時間を埋めようとあれこれ考えたり行動したりするもので、
それが人の思考力なるものの向上に多大な貢献をしていたのは間違いありません。
古い書物を読むと、著者の細やかな観察眼と深い洞察力、そしてそれらを正確に書き記す表現力に驚かされることがあります。
「スマホもパソコンも、テレビさえなかった時代にこんな洞察力や表現力をどう培ったのか?」などと思ったこともありますが、いやそうではなくて、
「スマホもパソコンもテレビもなかった時代”だから”、これほどの思考力が養われた」というのが正解なのかもしれません。
過剰な娯楽がない時代はヒマに溢れていたでしょうから、その時間に色々なことを考え、観察し、限られた書物を読みふけったりして、先人は思考力を自然と磨いていたんだと思います。
翻って私たちはというと、1日の中でちょっとしたヒマを見つけるのもなかなかに難儀な時代です。
ふいに5分時間が空いても、すぐにスマホをいじってしまう。見なくていいメールを確認してしまう。YouTubeを開いてしまう。
これではヒマもあったものではないですね。
この忙しない現代にヒマを確保するには、相応の努力が必要でしょう。
私の場合、
- いきなりパソコンを触らず、まず「手書き」で思考する。白紙を前にペンだけ持ってあれこれ考える時間はヒマと同義だと思う。時間の流れがゆったりとし、深く広く物事を考えることができる
- 休日はスマホからSlackなどチャットアプリを消す。ホーム画面にアプリが並んでいるとうっかり開いてしまい、メッセージを見てしまうことがある。するともう仕事モードになってしまい、返信しなければという欲求に駆られてしまう。これではヒマもあったものではない
- 休日の買い物やゴミ捨てなどの「ちょっとした外出」の際には、あえてスマホを持ち歩かない。すると目と耳が解放されるので、街並みや人々を観察したり、流れる音楽や鳥の声に気づけたりする。
というようなことを気をつけています。
小さな工夫ですが、これでそれなりにヒマな時間を作れたり、それに近い思考環境を確保することができます。
テクノロジーの進化は止まらないでしょうから、ますます娯楽や種々情報は過剰になっていくはず。
その中で、あえて逆行するような振る舞いを日々の暮らしにどう取り入れるか。
いかにヒマな時間を創出するか。
仕事・生活を問わず今後も追求していきたいテーマの1つですね。
本日は以上になります。
株式会社FooLaiBo
三浦 隼
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