異色の作家 深沢七郎
ストリップ劇場のギタリストから、小説家へ
こんにちは。
日曜日ということで、また仕事と無関係の話をつらつら書いていけたらと思います。
昭和の時代に活躍した、異色の作家です。
1956年に、姥捨山(うばすてやま)を題材にした短編『楢山節考』で、第1回中央公論新人賞を受賞して作家デビューを果たしました。
当時すでに42歳でしたが、そこからもたくさんの作品を発表しつつ、埼玉に農場を開いたり、東京曳舟に今川焼き屋をオープンするなど、奔放に活動しました。
デビュー前は、ストリップ劇場でギタリストとして仕事をしていたそうで、とにかく異端の作家という感じがぴったり。
小説は短編が中心ですが、『笛吹川』のような読み応えのある長編小説も残しています。
色々な活動をしていた深沢七郎ですが、彼は一貫して、庶民・農民の目線から世の中を眺めていた人だと思います。
彼の著書(小説・エッセイ)には、刺激的な表現が溢れています。
- 人生は、死ぬまでの暇つぶし
- 虫ケラのように生まれ、死んでいく
- 生まれることは屁と同じ
最初に目にしたときは、衝撃を受けました。
彼の作品は、徹底してこの視点で描かれています。
でも、不思議と悲壮感や絶望感はないんですね。
諦観も、あるいは何か悟りの境地といった印象も受けない。
であるのに、妙な清々しさがある。
自然の風景を見ているような感覚、というか。
『楢山節考』は、愛情深い息子が、老いた母親を、村の慣わしに従って山へ“捨てにいく”話です。
設定だけ見れば悲劇的で、酸鼻を極めるようなシチュエーションです。
でも読んでみると、何か凛とした、涼やかな潔さが全編に流れている。
きっと、人間を人間ではなく、大自然の中のひとつのピースとして、あるがままに眺め、描いているんですね。
上述の「虫ケラにように」も、人間を見下しているわけではなく、ただ大自然のイチ構成要素として、虫も人も同列に眺めている。それだけのことなんだと思います。
彼の作品に触れると、人間というもの、自分の人生というものについて、よりニュートラルに、捉えることができるようになる気がします。
良い意味で「人生なんて、そんな大層なもんじゃない」と肩の力が抜けるような感じです。
一方で、草や木、虫、鳥のさえずりのような、我々を取り巻く自然の世界に、少し引き寄せられるような感覚が残る。
読後に外を歩くと、目についた木や花の名前が、ちょっと気になったりします。
『楢山節考』(この本に収められている『月のアペニン山』も良いです)
『みちのくの人形たち』
『極楽まくらおとし図』
『笛吹川』
彼にしか書けない作品群です。
本日は以上になります。
漫筆閑談。